Sep 7, 2010

地域エネルギー文化への提言

■ 文化は人々の生きるかたち
 「文明」が人類視点を基盤とするのに対して、「文化」は民族と風土を基盤とした"人々の生きるかたち"であり、現実には生活習慣や暮らしの知恵、風景や景観、色彩や香りに対する感性として認識することができる。つまり"地域エネルギーを文化で解く”とは、人々の暮らしや感性の視点からエネルギー問題を考えるということである。

■ 文明としてのエネルギーの不可視性
 現代の社会や暮らしは、文明としてのエネルギーとその利用システムに依存している。ガラスとコンクリートで外界から隔離され、空調システムによって快適に保たれた部屋で大画面テレビを楽しんでいるとき、私たちは目に見えないエネルギー文明の恩恵に浴しているが、地球温暖化の問題は、こうしたいわば不可視なエネルギーによる人工的な快適さの追求とトレードオフの関係にある。

■ 温室効果ガス削減とライフスタイル
 我が国の温暖化対策は、2020年までに1990年比25%減という温室効果ガス削減目標を踏まえて、いよいよ理念から実効性ある対策へと進みつつある。しかし、平成21年11月に環境省から発表された「2008年度温室効果ガス排出量」の部門別推移をみると、1990年に比べて産業部門が13%の減少であるのに対して、家庭部門は約35%の増加となっている。核家族化による世帯数の増加も排出量増加の一因であるが、人工的な快適さを求め続けることがそろそろ限界に来ていることも否定できない。低炭素社会の実現には、低炭素型の製品・技術の導入だけでなく、ライフスタイルの転換が求められている。

■ 文化としてのエネルギー
 「環境共生社会」というキーワードが時代の潮流として語られているが、半世紀前までの日本では、人々の生活を取り巻くごく普通の景色、風土であり、その中から日本的な様々な習慣や感性が生まれて来た。
小川のせせらぎの音で春の訪れを知り、夏は打ち水で涼をとり、夏建具で風を呼び込む。風鈴の音色に涼しさを感じ、風にゆれるいちめんのススキに秋を感じる。ここには、現代でいう「自然エネルギー」と生活の関わりが可視化されている。

■ 日本的感性と知恵で地域エネルギーを解く
 エネルギーをめぐる文明と文化の折り合いの鍵は、日本人が忘れかけている自然とのつきあい方の感性と知恵にある。日常生活におけるちょっとした"風情"や技術における"自然を活かす知恵"、地域の多様な気候風土を踏まえた地域資産としての自然エネルギーの掘り起こしをとおして、日本的低炭素社会のかたちを見つけたい。

(掲載:[日本デザイン機構[Voice of Design]Vol. 16-1]一部修正)

Jun 2, 2009

持続可能な地域社会形成に向けたパブリックアートの可能性

-「結い」と「絆」の再生 -

1.地方圏における人口減、高齢化と「結い」の機能
 地方圏の人口減、高齢化が加速している。平成17年の国勢調査によれば、65歳以上人口が30%を超える市区町村は、全国で574と全体の23.6%を占めているが、国立社会保障・人口問題研究所が発表した「日本の市区町村別将来推計人口」(平成20年12月推計)では、2035年には、65歳以上人口割合40%以上の自治体が全体の4割を超えると予測されている。また、地方圏において、自然増加率と社会増加率の双方がマイナスで人口減少となっている市町村は、2000年度末には1,300市町村と、既に地方圏の市町村の56%を占めていたが、2007年度末にはこれが8割弱に高まり、人口1万人未満の市町村の大半は自然減かつ社会減となっている(内閣府:地域の経済2008/平成20年12月)。
 こうした深刻な状況の中で、日本の伝統、文化の源であり、豊かな自然環境を育んできた地方圏が、地域の活性化をはかり、自立循環型地域社会を形成していくためには、集落ごとに住民が助け合って農作業や手間替えなどを行ってきた昔ながらの「結い」の伝統になぞらえて、地域の互助・共助・協働機能を再生・強化するための「新たな結」が必要であるという考え方が出されている。(参考:国土交通省:新たな結(ゆい)研究会報告書/平成21年5月)

2.シビックプライドと「結い」の精神の象徴
 しかし、こうした「新たな結」の取り組みを現実のものとするためには、まず何よりも地域に生活する住民ひとりひとりが、自分たちの地域に誇りを持ち、地域のアイデンティティとめざす姿について、思いを同じくすることが必要である。
 海外では、こうした「シビックプライド(まちに対する自負と愛着)」をパブリックアートによって育みながら、地域再生を果たした事例が存在する。
英国北イングランドのニューカッスル - ゲーツヘッド(Newcastle - Gateshead)は、かつてはその豊かな石炭資源によって造船や軍需産業が栄えるイギリス重工業の中心地の一つであったが、第二次大戦以降、造船業の衰退と炭坑の閉山という主要産業の喪失によって失業者のあふれる地域となっていた。こうした状況の中、90年代前半に政府の文化助成機関と市が恊働で始めた「文化プログラムを活用した都市再生事業」は、多くのプロジェクトによって、雇用者数の増大、域内投資の増加、観光資源化による経済波及効果など、この地域を復活させることに成功したが、地域再生が輝かしい成果をあげた最大の要因は市民意識の変化にあった。一連のプロジェクトの契機となった、有名な「エンジェル・オブ・ザ・ノース」は、かつて地域を支えた炭坑の跡地に造船技術によって制作された高さ20メートル、両翼部分54メートルの幅を誇る、天使をモチーフとしたイギリス最大の彫刻である。

エンジェル・オブ・ザ・ノース Angel of the North制作者で彫刻家のアントニー・ゴームリーは「地域の歴史は失われてはならない」として、人々に炭坑と造船という歴史への誇りと、未来に向けた変化への意思を示すことによって、シビックプライドによる人々の希望と結束の気持ちをよみがえらせたのである。
 翻って、わが国の地方圏には、豊かな自然の中で育まれてきた川の文化、森の文化、歴史や伝統の表象としての祭礼や鎮守の森、習慣などがまだ多く残されている。また、ニューカッスル - ゲーツヘッドと同様、今は衰退してしまったかつての産業遺産やそれにまつわる人々の記憶も存在する。こうした「地域の歴史」を核としながら、人々が将来に向けた夢とビジョンを共有し、地域に対する誇りを取り戻し、「結い」の精神を復活させることは、場所を問わず、すべての地域再生の出発点である。そして、その契機として地域ビジョンと住民意思の結束の象徴としてパブリックアート、パブリックシンボルを活用することは、わが国においても大きな可能性を感じさせるものである。四季の変化に恵まれた日本においてそれは必ずしも彫刻などの構造物にとどまらず、例えばトトロの森や鎮守の森のような緑環境の出現、再生といった、ランドスケープデザインの新しい役割としても考えられるであろう。
ただし、こうした計画について、日本ではすぐに安易な観光資源としての位置づけに陥りがちであるが、ニューカッスル - ゲーツヘッドでは市民の8割が、エンジェル・オブ・ザ・ノースを自分たちのまちのシンボルとして支持しているということを忘れてはならない。
*参考:[シビックプライド](シビックプライド研究会編:宣伝会議)
*Angel of the North is Wikimedia photo by David Wilson Clarke :
licensed under Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported.

3.都市における「絆」の喪失
 少子化、高齢化の進行は、都市においても地域の活力低下や高齢者単独世帯の増加、地元商店街の衰退や自治会など地縁型コミュニティの機能低下など、いわゆる「ご近所付き合い」による「絆」喪失の要因となっている。しかも、大都市圏では、戦後の高度経済成長期に居住をはじめた住民が今後急速に高齢化するため、地方圏にもまして地域コミュニティの役割が増大していく。平成20年7月に公表された国の「国土形成計画」(国土交通省)では、行政だけでなく多様な民間主体を地域づくりの担い手と位置付け、これらの主体が従来の公の領域に加え、公共的価値を含む私の領域や、公と私との中間的な領域で協働するという「新たな公」に基づく地域づくりの必要性を謳っているが、こうした活動においても核となるのは地域における住民の「絆」である。
 ところで、人と人との絆はある場所での時間を「共有」することから始まり、「共働」することで深まる。そのきっかけは競技場や街頭でサッカーの試合に興奮することでも、祭の神輿を担ぐことでも、立ち飲み居酒屋で隣り合わせになることでも良い。
Piazza del Campo a Sienaその意味で、公共空間の現代的機能は、都市の人々が「匿名性の関係」から「絆の関係」へと変化するための装置であることだろう。特に、広場の文化のない日本で、街に点在するさまざまな公共空間を装置化することは、今後のわが国の地域社会にとって不可欠な要素である。建築家のヤン・ゲールは「屋外空間の生活とデザイン」(鹿島出版会/ 1990年)という著書の中で、人間の活動を、毎日の日課のような「必要活動」、気持ちと時間と場所によって引き起こされる「任意活動」、複数の人間による「社会活動」に分類した上で、優れた環境は特に「社会活動」に影響を与えると述べているが、その意味でも快適な公共空間は重要である。
(写真:イタリア-シエナにあるカンポ広場)
*Piazza del Campo a Siena.is Wikimedia photo by Massimo Macconi:
the copyright holder of this work, hereby release it into the public domain. This applies worldwide.

4.街区公園と多様性
 わが国の都市住民にとって、日常生活の上でもっとも手軽で身近な公共空間は、街区公園であろう。誘致距離250mの範囲内に点在する街区公園は、幼児、小学生から高齢者の方々、町内会の住民までもが容易にアクセスでき、地域の人々の出会いや恊働の場所としてきわめてポテンシャルが高いと思われるが、特に都市中心部の現状は、児童公園時代の遊具が高密度に配置され、幅広い年齢層の人々が様々な目的で利用するには適していない。

東京ミッドタウン今後の少子化、高齢化社会を見据えつつ、地域の絆を再生する視点から街区公園の役割を発展的に再定義する必要がある。東京都心部で、特にガーデンが人気の「東京ミッドタウン」のコンセプトは「Diversity(多様性)」、「On The Green」「Hybrid Garden(新しい要素が混交することで新しい価値が生まれる庭園)」であるが、こうした考え方は、大規模開発によるパブリックスペースにとどまらず、むしろ街区公園のような身近な公共空間の現代的機能としてきわめて有効である。
*東京ミッドタウン is flickr photo by K.Suzuki :
licensed under Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported.

5.魅力的な公共空間のシンボル
 街なかの魅力的な空間は、それがどれほど小さなものであっても、その地域に暮らす人々の街に対するまなざしを感じさせ、その街の雰囲気を醸し出すシンボルとなるものである。そして、ここでも、地域の人々が「街に対するまなざしと界隈性のイメージ」、あるいは「作法と秩序感覚」、「由来と歴史」などを共有していることを示し、その街に暮らすことを誇らしく感じるための出発点としてパブリックアート、パブリックシンボルを活用するということは、大変有効な手段となりうる。
また、小学生などが日頃からアート的感性に触れることができるという意味で、街区公園の造作物をアートやアースワーク、ランドスケープによりデザインしたり、またそのための若手作家によるアートイベントを定期的に行うなど、街なかのポケットパークの可能性はさまざまに拡がる。
これを機会に地域の「絆」再生とパブリックアートやパブリックシンボル、ランドスケープデザインの可能性を追求したいと考えている。

(掲載:[(社)日本建築美術工芸協会 - 『パブリックアート再考』]一部修正)

Mar 12, 2009

たった3行の桜便り


 季節感の乏しい東京の都心でも、ふと沈丁花の香りが漂い、気象庁の「さくらの開花予想」の発表を目にすると、春の気配を感じます。
 この時期になると思い出されるのは、むかし千鳥が淵にあった「フェヤーモントホテル」が、毎年、新聞に出していた「たった3行の桜便り」。

皇居のお掘
千鳥ヶ淵の桜が
咲きはじめました。
Fairmont Hotel

 飾り気のない古びたそのホテルは、設備も古く、バスルームや空調の配管も剥き出しで、次々と都心に開業するシティホテルの華やかさとは比べようもありませんでしたが、"フェヤーモント"という名前の響きとともに、どこか、世の中がまだ落ち着いていた時代の「ハイソ」なたたずまいを感じさせる、なぜだかほっとできる場所でした。
 ここを訪れる人々も、家族連れや年配の夫婦が多く、桜の季節に、昔の想い出を懐かしむように孫夫婦と共に訪れる祖父母といった場面を良く見かけました。その年の桜を楽しんだ後、帰り際に来年の部屋の予約をしていく常連客も多いと聞きました。

 残念なことに、2001年1月にホテルは老朽化のために閉館し、跡地は現在、高級マンションになっていますが、フェヤーモントホテルの記憶は、その後、千代田区が引き継いで毎年桜の時
期に新聞に出す、たった3行の桜便りに受け継がれています。

皇居のお堀、
千鳥が淵の桜が咲きはじめました。
千代田区

location map
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May 25, 2008

レンガ造りの高架橋

 東京駅丸の内南口(東京駅駅舎南端)から有楽町、新橋を経て第一京浜に至るJR高架の南面は、いまも明治42年〜43年にかけて新橋駅(当時:烏森駅)〜有楽町駅〜呉服橋駅(東京駅開業までの仮駅)が開業した当時のレンガ造りの高架橋が残されており、有楽町駅、新橋駅は,当時の高架橋アーチをそのまま活かした駅舎となっている。
この高架橋は、明治期における日本の近代化遺構といえるものであり、創建当時の東京駅丸の内駅舎正面写真にも写っている(写真右端)。



しかし、その後の
・歴史的価値認識の不足(従って適切な維持管理がなされていない)
・安易な高架下活用(デザインガイドラインがない)
によって、現在では見るも無惨な姿となっている。(後掲-現況写真)

 東京駅丸の内駅舎は国の重要文化財であり、現在、駅舎の保存・復原工事が進められている。JR東日本[東京駅丸の内駅舎保存・復原工事の着工について]には、「今回の保存・復原工事を通じて、駅舎の安全性と利便性の向上を図りながら、駅舎の恒久的な活用を実現するとともに、文化的遺産である歴史的建造物を未来に継承し、首都東京の風格ある都市空間の形成に貢献してまいります。」とあるが、「公共のデザイン」、「ソーシャルデザイン」を考えるには、駅舎単独のデザインのみならず、それを取り巻く「都市」の佇まいや風景までをも視野に入れることが必要である。

 東京駅から新橋にかけての高架橋の現在の姿は、日本の公共デザインにおける
・ 連続性の視点
・ 街全体の風景としての評価視点
・ ストックとしての都市景観という意識
・ 公共機関におけるCSR(社会規範意識)
のいずれもが欠如しているという現実が象徴的に現れている。

 有楽町駅、新橋駅共にその「構え」としてのデザインは潜在的なポテンシャルを持っているが、それでもなお、現在のような有様となってしまうのであれば、我が国においては「公共のデザイン」自体を考える精神的な基盤が成立しえないとすら言わざるを得ない。
 また、賑わいと猥雑と雑然とは明らかに違うものであり、もし戦後の混乱期における猥雑で雑然とした雰囲気をも肯定するのであれば、公共デザインについて議論する必要はない。

 フランスのバスティーユには、鉄道の高架下を都市遺産として維持しつつみごとに再生したプロジェクト「Bastille Viaduct」がある。 1859年に高架鉄道の路線として建設され、110年に亘って利用された後、路線廃止によって放置されていた鉄道高架を1986年にパリ市が買い取り、かつての軌道は歩行者用プロムナード、アーチの下はアトリエや店鋪として再活用整備を行ったもので、これを見ると公共デザインに対する意識のあまりの差に愕然とさせられる。
【Bastille Viaduct】


【参 考】
◇東京駅
開業年月日 大正3(1914)年12月20日
東京駅ができる前、この地点には明治43年9月に開業した「呉服橋」という仮駅があった。この駅は東京駅の開業とともに廃止。
◇有楽町駅
開業年月日 明治43(1910)年6月25日
有楽町駅は明治43年6月の有楽町〜烏森(現・新橋)間開業と同時に設けられた駅。
有楽町駅から新橋駅の先まで続くレンガ造りの高架橋は、開業時からのもの。
◇新橋駅
現在の新橋駅は明治42年に烏森駅として開業した駅
開業年月日 明治42(1909)年12月16日

【現在の様子 - 東京〜新橋】

Jun 27, 2007

景観が規範となるとき




景観は共有価値であるという認識

 我が国初の景観法が全面施行されてから、5月で満二年が経過する。この間、全国44の自治体が同法に基づく景観計画を策定し、景観行政団体となった自治体は、政令指定都市・中核市およびその他の市町村を合わせて278に及んでいる(平成19年4月1日現在)。
 なお多くの自治体が景観計画に盛り込むべき内容について手探り状態であるとはいえ、『地域にとって景観は「共有価値」である』という認識が、国民の間に浸透していく契機となったという意味で、景観法制定の意義は決して小さくない。
 以前にも触れたように、司馬遼太郎は「都市を形成しているものは造形と市民意識の両面からの秩序感覚である」と書いた(古往今来 古往今来 (中公文庫):司馬 遼太郎:「京都国」としての京都)が、その一例として京都の女主人の言葉が出てくる。京都の路地や通りをうろうろしながら、ふとどの家の軒下にもゴミ箱がないことに気付いた著者が、なぜ表にゴミ箱が出されていないのかとたずねると、女主人はふしぎそうな顔をして、「そんなもん、.....町が見ぐるしゅうなりますがな」と言ったという。

 「品格」といい「美しい国」と言うとき、それを支えるものは、人々のこうしたまちの美的秩序に対する誇りであるが、まずは、まちの心地よいたたずまいが生活に潤いをもたらし、地域の魅力となって多くの人々を惹きつけ、ひいては地域や住民の経済的な価値を高めることに繋がっていくという多くの実例を示すことによって、景観という「共有価値」への理解を一層深めていくことが大切である。

時代経験から学んだこと

 「風景に優劣はつけられない」とは、よく言われることであるし、時代ごとの社会の方向性が風景を形造ることも事実であろう。例えば、東京・日本橋の上にかかる首都高速道路について移設構想が発表されたとき、予想通り「税金の二重投資であり無駄遣いだ」という反対意見が寄せられたが、60年代から80年代にかけて、日本人の大部分は国の経済的な発展と豊かな生活を求めて国土の改造に期待こそすれ、何の疑問も持たなかった。それは、ちょうど映画「ALWAYS 三丁目の夕日ALWAYS 三丁目の夕日」で人々が建設中の東京タワーを見上げながら将来に夢を膨らませ、手塚治虫の漫画に登場する未来都市のイメージに憧れたことに象徴されるごく当たり前の感覚であった。つまりはそういう時代であり、人々の意識だったわけで、そのことを誰も責めることは出来ない。むしろ、そうした経験の結果として、日本人はようやく環境との共生や歴史・風土・景観の大切さ、持続可能な社会に向けた努力の必要性を学んだ(思い出した)のである。
 そうであるならば、ことはすべての日本人に主体的に関わってくることであり、そうした時代経験を活かすために税金という形ですべての国民がそのツケを払うという柔軟な発想も、場合によっては必要ではないだろうか。その意味で、いま必要なことは、長期的な視点を欠いた目先の金額の大きさだけで直ちに税金の無駄遣いだという結論を導いたり、規制=経済的制約というステレオタイプな発想を卒業して、百年後、二百年先を見据えた真に持続可能な社会とまちの有り様を考え、具体的な道筋を作ることである。

社会規範に対する意識の変化

 ここ何年かの間に、社会規範に対する人々の受け止め方に変化が見られるように思われる。昨年6月から施行された駐車違反(放置車両)取り締まりの民間委託は、当初、取締が恣意的になるとか、警察OBの天下りの温床になるとかいろいろ言われたが、現実に違反駐車が激減し渋滞が解消された道路を目の当たりにして、人々は、規制イコール制約・統制というこれまでのイメージから、適切な社会ルールは自らと社会に利益をもたらすという位置づけへ、実感を持って認識を変えた。(新駐車対策法制施行後6ヶ月間における都内主要10路線の放置駐車台数→マイナス57.4%)
 こうした、社会規範を負担・制約ではなく価値であると考える受け止め方の変化は、社会のさまざまな場面で次第に広がりつつある。
例えば、談合や飲酒運転に対する社会認識の変化と摘発の強化や厳罰化への支持もそうであるし、まちのたたずまいに関することで云えば、タバコのポイ捨て禁止も同様である。また、日本の都市景観を猥雑にしている元凶とも云える消費者金融の看板についても、利益優先の過剰貸付に対する問題意識の高まりと貸出金利の規制が各社の経営を圧迫し、結果として支店の統廃合や屋外看板の撤去につながっている。その意味では、景観を考えるについても、環境への配慮が制約ではなく価値であるという「造形と市民意識の両面からの秩序感覚」(司馬遼太郎:前掲)を社会規範として多くの人々が共有できる日は、そう遠いことではないような気がする。

地球環境問題と景観

 地球温暖化防止のためのCo2削減数値目標を定めた京都議定書の目標期間がいよいよ来年からとなり、日本においてもさまざまな提言や施策が打ち出されるなど、Co2削減がにわかに身近な問題となりつつある。4月に発表された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第4次評価報告書第2作業部会報告書(影響・適応・脆弱性)は、「地球の自然環境について観測されたデータのうち、物理環境については94%、生物環境については90%において、温暖化の影響が現れている」と結論づけており、温暖化が現実のものとなってきている。
 こうした中で、企業活動においても環境問題への取り組み姿勢が、消費者や投資家の選択基準として企業価値を左右し始めている。日本経済新聞社が企業の地球温暖化やリサイクルへの対応について調べた2006年の環境経営度調査によると、日本の製造業で環境経営度が高い企業ほど、時価総額も大きいという相関関係が浮かんできたという(日経新聞:2007年4月5日)。
 地球環境の保全は、全人類にとっての「共有価値」であり、その範囲は日常生活から都市や地域、ひいては文明のあり方にまで関わる問題である以上、こうした社会の流れは当然のことであろう。
 このことは景観やパブリックデザインの領域においても例外ではあり得ない。環境負荷の高い製品や生産活動が選別の対象となるのであれば、企業活動の一環として野放途に設置されている屋外看板やネオンサイン、広告塔についても、環境負荷を高める活動としてマイナス評価の対象とされてしかるべきであるし、公共交通機関の広告は経営安定のための副収入であるという方便は、もはや説得力をもたない。パブリックデザインにおいても、今後は素材の選択や具体的なデザインを含めて環境負荷への配慮が重要になろう。
 「人間が風土のなかで必要に迫られ、有り合わせの材料を使いつつ作り上げてきた家屋の感触というのは、.....なまなかな芸術作品の及びがたいものがある。」と司馬遼太郎は書いたが(「街道をゆく」第九巻信州佐久平みちほか「街道をゆく」第九巻信州佐久平みちほか)、新建材に代表されるさまざまな工業製品が自由に使えるようになったことが、地域の景色を雑然とした落ち着きのないものにしてしまった一因であることは否定できない。こうした材料を今から排除することはできないが、せめて製品に関する生産プロセスを含めた環境負荷の表示を義務づけたり、敷地境界をブロック塀から生け垣に代えることなども含めて、負荷の小さな製品の使用に税制面での優遇措置などを与えることで、ハイブリッド車の普及と同様、消費者の環境意識に働きかけることはできるであろう。
 人々の規範意識に支えられた環境共生型の街並は、おそらく落ち着いたたたずまいを見せているに違いない。

*写真:生け垣の続く住宅地(練馬区向山三丁目)
    地域住民による自主的なルールで落ち着いた景観が保たれている。

(掲載:[日本デザイン機構 - Voice of Design Vol.12-4/マイナスのデザイン4 - パブリックデザインマネジメント] 一部加筆)